学歴詐称だけじゃなかった、周囲を騙したショーンKの巧みさ

豪快な学歴詐称が発覚したショーンK。「とんでもない嘘つきだ!」「けど彼のコメント力はすごかった」など賛否が飛び交っています。日本の経歴信仰が生んだ弊害だと言われている本件ですが、根本には違う問題があり、ショーンKはそこを狙っていたと武田砂鉄さんは言います。



●「ショーンK」状態とは何か

結婚したり付き合い始めたりしたカップルに馴れ初めを聞くと、3割くらいの確率で「けっこう前からその存在を知ってはいたんだけど、特に何の印象も持ってなかったんだよね」という回答が戻ってくる。頻繁に聞かされるあの長ったらしい説明が示す状態には名前が必要ではないか。ひとまず仮に、あの状態を「ショーンK」と名付けておこう。2人の間に「ショーンK」状態を脱する、きっかけとなる出来事が起きる。例えば、急性胃腸炎になった時に誰よりも先に「心配してるよ」とLINEをくれたとか、その場にいる大半がガリガリ君の梨味の再現力を褒めているのに自分と彼女だけが「そうでもないっしょ」と言ったとか、何がしかの出来事を経て、何の印象も持っていなかった「ショーンK」状態から脱していく。

 自分にとってショーンKという人は、長いこと「ショーンK」状態のままだった人である。わざわざ名付けたくせに長ったらしい説明文に戻すと、「前々からその存在を知ってはいたけれど、特に何の印象も持っていなかった人」である。すこぶる豪快な経歴詐称がバレて全ての番組出演を自粛することになったが、案の定、殺人犯が住んでいたアパートの近隣住民が「実は怪しいと思っていた」と語る感覚で「そんな感じがした」という後出しジャンケンが方々で放たれている。その一方で「経歴詐称は良くないが、彼のコメント力は類い稀なものだった」という意見も出る。どちらも頷けない。なぜなら自分にとって、今の今までショーンKは「ショーンK」状態にいる人という把握でしかなく、「ショーンK」状態を脱する出来事が一切起きなかったからである。つまり、向き合ったことがない。多くの人がそうではなかったか。

●謎めいた擁護

 尾木ママが今件について、「私もテレビ局もころっとだまされちゃったわね…」「いわば『ゲスの極み詐称』。絶対に許せない」(東京新聞・3月19日)と答えている。不祥事の発生に合わせて未だに「ゲスの極み」を使うところに尾木ママが重宝される理由が詰まっているが、果たして私たちは彼に「ころっと」だまされていたのだろうか。ショーンKは、「ショーンK」状態を日々懸命に保持していたはず。自分が設定した架空の経歴に負けないように、新聞を読み、ビジネス書を読み、英語力を身につけ、トーク術を鍛練していたのだろう。

 「経歴詐称は良くないが、彼のコメント力は類い稀なものだった」という擁護は謎めいている。賞味期限切れの食材を使ったことを指摘している最中に、料理の腕前を叫ばれても、それは擁護になり得ない。ウェブサイトに虚偽のプロフィールを載せ続けていただけ、と思っている人も多いが、『週刊文春』の記事には、彼がかつて『月刊BOSS』に「1997年から98年にかけて(F1チームの)マクラーレンのコンサルティングをさせていただいたことがあって、そのうちサーキット内のパドックにも入らせてもらえるようになり、カーレースの醍醐味を知ったのだ」と話していたとある。それに対し、マクラーレン側は「この25年間、お名前は聞いたことがありません」ときっぱり回答した。

つまり、彼は虚偽のプロフィールを載せていただけでなく、その都度、上塗りしながら、虚偽の経歴を自己管理していたことになる。「サーキットのパドックにも入らせてもらえるようになった」と言い放つのは、とっても恣意的なことだ。いつか更に突っ込まれた時のために「サーキット パドック」などと検索し、カーレースの醍醐味を自分なりに探索していたかもしれない。

●「どうやらなんかスゴいことしている感じ」

 今件を受けて、やっぱり日本人は、能力より肩書きに弱い経歴信仰を持っているんだ、と言われているが、「日本人は」だなんて引っくるめないでよ、と思う。彼の講演、例えば「日本の競争力再評価とグローバル戦略の実践:インフラ輸出、PFI事業の可能性」(大和証券グループ本社主催)などを真剣に聞き込んじゃった人は、あぁ経歴信仰社会の弊害よと愚痴りながらも自省すべきだろうが、日本人の多くはただただ経歴に弱いのではなく、「この人、どうやらなんかスゴいことしている」という曖昧な状態に弱いのである。で、その「どうやらなんかスゴいことしている感じ」を作り上げるアイテムとして最も効果的な要素が経歴なのである。逆に、経歴だけでは「どうやらなんかスゴいことしている感じ」は作れない。この順番は大事だ。経歴という要素にだまされたのではなく、彼が作り上げた曖昧な状態にだまされたのである。

 「前々からその存在を知ってはいたんだけれど、特に何の印象も持っていなかった人」が「どうやらなんかスゴいことしている」を必死に作り上げてくると、格段の効果を放つ。世の中の「ショーンK」状態には段階があって、「前々からその存在を知ってはいたんだけれど、特に何の印象も持っていなかった人」が、いつの間にか「前々からその存在を知ってはいて、特に何の印象も持っていないんだけど、どうやら人気らしい人」となり、そのうちに「前々から注目していたし、突出する何かというよりも、その存在がとっても印象的な人」に至る。印象を微調整して状態を作り上げるのは他人ではなく自分だ。「ショーンK」状態のさじ加減は、その本人が管理するのである。

●「経歴」ではなく「状態」を取り扱う

 ショーンKをテレビで見かけてから5年ほどが経つけれど、先述の講演会のようなケースを除き、彼は徹頭徹尾、「ショーンK」状態を初期設定で保ち続けていた。「どうやら人気らしい人」や「とっても印象的な人」などとグレードアップしていくこともできたのに、テレビではしなかった。彼がしたことは「経歴」詐称ではなく「状態」詐称である。「ショーンK」状態を「経歴信仰」「メディアがつくった虚像」だと単純に済ますべきではない。繰り返しになるが「けっこう前からその存在を知ってはいたんだけど、特に何の印象も持ってなかった人」を保とうとした。その「状態」詐称ってなかなかテクニカルである。この期に及んで、経歴だけではない魅力があった、という言質がいくつもこぼれてくるのも、ショーンKが定まった「経歴」ではなく、あやふやな「状態」を取り扱っていたことの証左ではないか。